演出ノート

1920年に発表されたカレル・チャペックによる戯曲R.U.R.(Rossum's Universal Robots)は、ロボットという言葉が作り出された歴史的な作品です。私は常々この作品の発表形式に疑問を持っていました。全3幕あるこの戯曲は、実は英米ではほとんどが第3幕を除いた1・2幕のみで上演されています。ここに、現代の英米でのロボットへの敵対感が込められているような気がしてなりません。
有名な古典なのであらすじを全て物語の章に全て書いてしまっていますが、 現在英米で上演されているのは実はこのうちの2幕までです。ロボットは恐ろしいもの、人間に仇なすもの、といった反逆の物語として終わります。ですが、先程も言った通りこの戯曲には第3幕があるのです。

私は、この戯曲の最大の特徴はこの3幕目にあると主張したいのです。
チェコ人のカレル・チャペックによってチェコ語で書かれたこの戯曲は、ロシア人の私にとっては3幕まで通しで観るのが当たり前のものでした。何故英米で上演される際、3幕目が省かれてしまうのかが分かりませんでした。そうすることで徒に人間とロボットの対立の溝は深まってしまいます。それにより刷り込まれてしまった、ロボットへの反発心を払拭したい。ロボットへの悪い印象と、この戯曲自体の暴力的な印象を打ち払いたい。根底にあるものは愛であると主張したいのです。
この戯曲の演出は、アメリカ人あるトーマス・ライト氏ではなく、ロシア人である私の使命であると感じました。

また、今回の演出上取り入れる最大の特徴として、アルクイスト建築士以外の全ての役者をロボットで演じることにしました。 丁度入れ子人形――マトリョシカのように、劇としてストレートに物語を追って頂く視点と、ロボットがロボットのことを語るという外部からのメタ的な視点の両方が入り混じる舞台になるのが狙いです。是非とも、一度戯曲R.U.Rを読み切ってからご覧下さいませ。

唯一の人間、ロボットの神様・老人アルクイスト建築士にはアルバート・W・ワイリーをお迎えしています。ただ一人、ロボットの世界で誰のためでもなく自分のために『仕事』を続ける老人を熱演して頂くには、この人以外ありえないと思い配役を決定しました。
狂った役や激する老人の役のイメージが強い方ですが、今回ラストシーンの2体のロボットを送り出してやるシーンの 愛に溢れる名付けの声色によって、そのイメージは覆されるでしょう。



バレエで培った演出等も取り入れた、新解釈・現代のR.U.R。 人間だけでなくロボットにも楽しんでもらえたらと思い、家庭用・工業用の区別無くロボットの出入りできる娯楽施設の許可を受けました。大切な人間と、大切なロボットと一緒に見て頂けたらと思います。 劇場でお会いできるのを楽しみにしております。


(※この戯曲は国際ロボット連盟の許可を得て上演しています。決してロボットの反乱を支援する目的ではありません。あらかじめご了承くださいませ。)


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